・何冊も読んでいた作家がパタって、読めなくなること
がある。たとえば、司馬遼太郎。「坂の上の雲」が途中から
読むのが苦しくなった。どうにか読み切ったけれど。
それまでにたくさんの代表作を読んでいて、最後に残った
のがこの本だったか。司馬作品のなかで「坂の上の雲」が
一番好きだというひとは多くいるだろうが、わたしは違った。
・だからということでもないと思うのだが、正月からこの方
読みかけて積読本が結構出てきてしまった。新刊で買った本は
どうにか読んだ。古本で買った本が読み切れない。均一で
あれば手放してもよいが、それ以上のお金を出しているのでね。
それにしてもなんでこうなってしまうのか。読めないという時期は
あるにはあるのだが。
・詩人が書いたエッセイを読み始めたのは、平田俊子さんのトークを
聞きにいってからだろうか。金子光晴や茨木のり子は間違えない。
途中で投げ出すことはしない。
・茨木のり子『言の葉さやげ』(花神社)読了。
- 作者: 茨木のり子
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かけるんだろうな。
けれども私は、自分はマイホーム主義者ではないというポーズをとる男
たちに欺瞞を感じるし、こんなものには一顧だに与えないという見栄から
は、どんな形であれ「寂しさの釣り出しに会う」のはたったの一歩だと
思う。
金子光晴のことを書いているんだけど「寂しさの釣り出しに会う」
なんかわからないけどいい言葉だな。
・これもよくわからなかった。
にがよもぎみたいな詩を書く一方で、年齢を超越した『ことばあそびうた』
が同時に生まれている。端倪すべきからざるところである。
これは谷川俊太郎のこと。「にがよもぎ」はググっても植物とはあるけれど
どのような意味があるのかはわからなかった。国語辞典には載っていなかった。
しかしなんとなく感じることはできる。
・茨木のり子のエッセイははずれがない。読書が不安定なときに本棚にささって
いるとホッとする詩人である。