筑紫哲也 『旅の途中』(朝日文庫) その2

・サークルの先輩がテレビ朝日でADをやっていて、その紹介で

 選挙速報番組のアルバイトをしたことがある。

・1980年衆参同日選挙。即日開票ではなく、翌日開票。朝6時に

 六本木集合だから後輩のアパートにでも泊まったのだったか。

・何十人も集まっていて、わたしの配置は選挙速報を伝えるアナウンサーの

 横で原稿をまとめているディレクターに各地の選管からの情報を渡す係り。

・まだアナログの時代。大きなスタジオにテーブルの上に何台もの電話が

 乗っている。たぶん47都道府県の選管分用意されていたんだと思う。

 そこにひとりづつアルバイトがつく。出口調査なんてなかったのか、番組が始まって

 からは静かなものだった。そのうちぽつぽつと電話が鳴りだし、アルバイトが受話器を

 とってメモをして手をあげる。わたしはそこに走っていってそのメモを受け取る。

・メモには「新潟三区 田中角栄 自民現 当選確実」なんて書いてある。そのメモを

 アナウンサーの横のディレクターにそっと渡す。そのメモをアナウンサーに渡して

 「ただいま速報が入りました。新潟三区 田中角栄 当選確実です。」なんて言う。

・電話がジャンジャンなって慌ただしい雰囲気のスタジオが当時の選挙番組。

  まだ若かったせいか走り回っているのに疲れた記憶はない。テレビに映らないところに

 モニターが並んでいて各局の選挙番組が音声を消して映されている。「おっ、NHK

 早いなあ」なんて言いながら見ているとまた手が上がって走りだす。

・選挙速報も佳境に入って来るとその大きなスタジオの離れているところに円卓のような

 ところにメインキャスターと解説者が数人座っていた。その中に筑紫哲也がいた。

 声は聞こえない。このとき初めてわかったがスタジオ内では音声は入っていないんだ。

 他の解説者に誰がいたのかは覚えていない。筑紫哲也はもう白髪頭だったと思うが。

   CMの時間なんかはメイクさんが入ってきてドウラン?なのか、顔を直していた。

・まあ、筑紫哲也に会ったことがあるというはなしでした。わたしが一番残念だったのは

  中里雅子に会えなかったこと。いまでいう人気女子アナですね。