今井金吾『今昔中山道独案内』(日本交通公社)

 

 ・先日、五街道を歩いたという友人と中山道のはなしになって、

 「今井金吾の『今昔中山道独案内』はバイブルだよな」と言って

 いた。わたしも同感である。

・江戸時代の古地図と国土地理院の2万5千分の1図を載せて、

 貝原益軒や太田蜀山人中山道道中記を引用文献として、さらに

 著者が実際に歩いて見たことだけでなく、綿密に調査したであろう

 ことが書かれている。

・昭和51年(1976年)の本だから、国土地理院の地図もし、著者の

 情報も古いのだが。いまでは跡形もない江戸時代の建物が残って

 いたりして、あー残念と思ってしまうこともたびたび。

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中山道に興味がわいたのは、もちろん宿場町である浦和に住んでいた

 ということなのだが、中学1年生のころ妻籠宿の写真が国鉄

 「ディスカバージャパン」のキャンペーンポスターになっていて、

 それこそ江戸時代にタイムスリップしてみたいと思ったのがはじまり。

・冬にSLの写真を中央西線に撮影しに行く帰りに妻籠宿に寄った。

 U君と一緒だったが人生初の一泊旅でした。

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・昭和53年の夏にサークルの合宿で北海道に行くことになっていて、

 その体力づくりに日本橋から浦和まで歩いた。途中いまでいう熱中症

 なりかけて28キロを歩いた。

・昭和55年の2月にこの本を買っている。もう一度木曽に行ってみようと

 思ったからでこの本をパックフレームのザックに入れて奈良尾から鳥居峠

 妻籠から中津川、岐阜県御嵩まで旅した。

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・最近、秩父の低山歩きをしていたのだが、コロナ禍で秩父に行くことが

 ためらわれてどうしたものかと考えていて、そうだせっかくだから

 目の前にある中山道を歩いてみようと。

・とりあえず自分の住んでいるところから一駅づつ大宮まで。それが終わると

 今度は高崎まで。この本のコピーを取って街道歩き。

・これが思いのほか楽しかった。神社仏閣だけでなく、こんなところにうどん屋

 があるとか、古墳は血が騒いだ。

芭蕉の句碑が結構あるんだが、芭蕉が訪れて句を詠んだわけではなく、芭蕉

 愛好家がその地の情景にあわせて芭蕉の句を選んで建てているのが多いようだ。

・当時としたら歩いて旅するひとも「おっ、こんなところに」と思っていたんじゃ

 ないだろうか。それで街道沿いに句碑が建っているのだとも思う。

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・その岐阜県中山道を歩いたとき、西行の墓や和泉式部の墓に出くわしたことが

 ある。なんでこんなところにと思ったのだが、この本によると西行の墓は室町時代

 に作られた供養塔であると。和泉式部の墓は伝承が残っているのだが、他の地にも

 和泉式部の墓があってどれが本物かはわからないと書いてある。これも歩いて

 旅するひとの興味を誘い、お参りをしたりしたのだろう。まあ、この本にそういう

 ことは詳しいのだが、なんで中山道沿いにこういうものが多いのかみたいなことに

 特化した本はないものだろうか。あったら是非読んでみたいものだ。