秋田さんのこと

・ちょっと前のはなしだが、久しぶりに古本屋めぐりを
 しました。高円寺から荻窪西荻窪三鷹へ。
・高円寺の藍書店の店頭棚で懐かしい本を見つけました。

倉前盛通「悪の論理」(日本工業新聞社

●出版年が間違えていますね。初版は1976年が正しい。

           
・19歳のころ、日本工業新聞社出版局営業部でバイトを
 していました。3か月ぐらいかな。大手町のサンケイビル
・「悪の論理」は、このころ日本工業新聞社で一番売れて
 いた本。わたしが藍書店で見つけたのは19刷。
・倉前さんがNHKに出演なさって、この本のことを紹介
 されたことがあった。次の日はすぐに東販、日販から
 注文が入って、大手書店からも電話が入ってきた。
・というようなことを覚えているなあ。
           
サンケイビルの何階だかは忘れたが、出版局の編集部を
 除いた部門と事業局がいっしょの部屋だった。ここの
 事業局は、展示会などを主に開催していてやたらと活気が
 あった。学生のアルバイトが何人もいたけど、みんな学校より
 バイトを楽しんでいるようだった。まだ、このころは、
 「公害防止装置展」なんて地味な展示会ばっかりだった。
 しかしその後、ここが「MACWORLD EXPO」を始めるんだから、
 びっくりぽんや。
           
・余談だが、サンケイビルには夕刊フジも入っていて、一度だけ
 亡くなる1か月前の五味康祐にエレベーターで会ったことがある。
 「あっ、すけべじじいだ!」とこころなかで叫んだ。
・たぶんこれを夕刊フジに連載していたのかな。

五味康祐「一刀斎の観相学的おんな論」(サンケイ出版)

一刀斎の観相学的おんな論 (1980年)

一刀斎の観相学的おんな論 (1980年)

           
・営業部は正社員二人とバイト三人という小さい規模だった。
 実質は営業が秋田さんひとりだった。
・わたしの人生のなかで出版社に勤めたのはこの時だけ。
 秋田さんとは神保町によく出かけた。学校が近いから、
 神保町は毎日のように出かけていたが、秋田さんには
 未知の世界に連れて行ってもらった。
・まずは、取次。いま裏の大きなビルのあたり。木造の小さい
 取次店を何軒もまわった。
・そのあとは書店。その時東京堂には初めて入った。
 書店の場合は店員に声をかけるわけではなく、平台に
 自社の本が並んでいるかを確認するだけだった。
・そして一休みで喫茶店。ラドリオに入ったのも秋田さんに
 連れて行ってもらったのがはじめて。ラドリオがいまより
 ももっと広かったのはご存知かな。コミガレの前に「リオ」
 というフリースペースがあるがここがラドリオで表口だった。
 いまあるのは裏口。いつのまにかラドリオとリオの二つに
 分かれて、そのうちにリオは喫茶店をやめてしまっていまに
 いたっている。
・ちなみにリオへはそれから閉店するまでよく通いました。
 トアルコトラジャ珈琲とナポリタンがうまかった。
           
・仕事が終わると神田ガード下に飲みに連れていってくれました。
 いまでもあの横丁はあります。大越なんかの並び。10数件の
 小さな店がごちゃごちゃになっているところ。
・店の名前は覚えていない。カウンターの立ち飲みで10人も
 入れたかどうか。おばちゃんひとりがいて、つまみは
 お通しの切り干し大根のみ。ビール大びんを二人で分けて飲んだ。
           
・その頃は、つげ義春の影響で川崎長太郎井伏鱒二をよく読んでいた。
 川崎長太郎は本屋、古本屋で見つけられなくてもっぱら図書館で
 借りていた。井伏は新潮文庫かな。
田村書店で井伏の全集(たしか筑摩だったか)を見つけて、
 バイト代で買おうと思っているというはなしを飲みながら
 秋田さんに相談したら、「やめたほうがよいよ」と
 言われた。「全集を買ったら読まなくなるから」と。
 そういうものかなと。全集は買わなかった。
・また、「東洋文庫を読みなさい」とも言われたな。
 うーん、こちらは教えを守らずにまだ一冊も買っていない、読んでない。