改題 「リアリズムの宿」に行く−2

つげ義春は、リアリズムを「生活の臭い」と訳している。
リアリズムには触れたくないといっている。
日常生活から解放されたのが、旅=非日常なのだから
これは至極あたりまえのことである。
冬の木曽を旅して、岐阜・恵那に抜けて宿をとった。
ほんとうに小さい一軒家で、客室は一部屋しかない
ようであった。八畳の部屋で、冬だというのに
片隅に扇風機が置いてあった。シーツをかぶせているような
ものもあった。泊まり客が少ないのであろう、物置代わり
になっていたのだ。朝起きて、歯を磨こうと思ったのだが
どうしても洗面所が見つからない。確か、風呂もなかった。
しょうがないので、トイレの手水で顔を洗った。
宿代は恐ろしいほど安かった。