・本日の毎日朝刊に「不明の姉 避難所に現れた」の
記事。行方不明の姉と震災後に会ってはなしをした
という人が現れたというはなし。現実にはまだお姉さんは
見つかっていない。霊的体験ではないかとのこと。
・東日本大震災の被災地でこのような霊的体験は150件
以上にのぼるという。
・会いたいという気持ちが、幽霊という表現になって
いるのだろうな。
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・きのうは思い立って原爆の図を観に丸木美術館に
行ってきた。北朝霞で乗り換えて東武東上線で東松山へ。
そこから市内循環バスで20分ほど。こう言っては
なんだが、よくこんな田舎に美術館を作ったもんだな。
・もともとは原爆の図を描いた丸木夫妻のアトリエだった
という。丸木夫妻は、広島に原爆が投下された時に
東京にいて、最初に運転された列車で家のある広島へ帰った
そうだ。爆心地から2km離れたその家は残っていて、逃げ延びた
人々でいっぱいだったという。そこで死んだ人を火葬したりした
そうで、その時の光景が原爆の図に描かれている。
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・原爆の図には、地獄が描かれているとしかいいようがない。
ほとんど描かれている人ははだかで、赤ん坊を抱く母親だったり、
死体の山やしゃれごうべ、茫然とする人たち……うーん、うまく
かけない。
・そんな原爆の図を四方に囲まれた部屋の真ん中に一人で立つと
背中がぞくっとして、気持ちがたかぶる。怖いということじゃ
ないんだが。
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・原爆の図の第一部の題名は「幽霊」。そう幽霊に囲まれている
のかもしれない。広島の原爆で亡くなったひとは26万人で、
原爆の図に描かれた人々は900人。全く描きたりていないというような
ことが説明版には書いてあった。
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・ふと思ったのだが、原爆で亡くなった人々も、震災で亡くなった
人たちも幽霊になってでてきたらいいのにな。そうしたらこの
忘れっぽい日本人に影響を与えてくれただろうに。
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・企画展「福島菊次郎写真展 原爆と人間の記録」も観たかった
のだ。原爆にあった人たちのその後の生活を追った写真の数々。
体が悪いのに無理をして低収入で働かなくてはならない、もしくは
働けず生活が困窮する家族。外国人や観光客から金をもらおう
とする原爆孤児。この子等はやくざに雇われているという。
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・3階の小高文庫は和室でもともとは丸木夫妻のアトリエ兼書斎
だったそうだ。ここからは都幾川の流れが見える。この静寂な
空間ですこしは気持ちを落ち着かせることができました。
原爆の図 丸木美術館
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm