緑区のこと

・やまがら文庫フェアは、15日(水)まで、会期が延びました。

cafe HINATA-YAがBOOKCAFEになる1ヶ月!
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「やまがら文庫フェア」
期日:4/4(木)〜5/15(水)
場所:駿河台下 cafe HINATA-YA
   千代田区神田小川町3-10 振天堂ビル4F
   TEL:03-5848-7520
http://www.hinata-ya.net/
営業時間:11:30〜22:00 *ラストオーダー21:00
定休日:日・月・祝日

・14日、15日の2日間延長です。まだの方、お急ぎください。ペコリ。
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緑区に引っ越してきて、ほぼ2か月。さいたま市の10区あるなかのひとつです。
 まあ、なんで浦和市を解体して、さいたま市を作ったのか、いまだにわからない。
 というか、憤慨しています。
・だいたい名前が悪い。「さいたま市」、なんでひらがななんだ。埼玉が読めない
 というなら、市民をバカにしているとしか思えない。それに埼玉の地名は県北の
 さきたまに由来しているという。それが県南の地名につけることがナンセンス。
・まあ、いいや。浦和はむかしからみどりが多い町だった。そう小学校で教わった。
 住宅街は大きな家が多く庭木が植わっていた。農家はからっ風を避けるために
 屋敷森で囲まれていた。小学校の屋上から市内を眺めた時に確かにそうだよなと
 思った。まあ、だから「緑区」ができたと思うことにしよう。
・引っ越してきて思ったのは、水がまずい。浦和は水がうまいことでも誇れる
 ことだった。どうしたことか。50%井戸水を使っている武蔵野市のほうが
 断然うまい。
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・区役所で「緑区ガイドマップ」をもらう。こういう地図は大好き。昔でいったら
 尾間木村、三室村、美園村、それに浦和市の原山、道祖土、太田窪の一部で
 緑区で構成されている。緑区の真ん中は南北に大きく「見沼たんぼ」が広がって
 いる。これは江戸時代に見沼を干拓してたんぼにしたのが見沼たんぼ。いまでも
 広大な農地になっている。たんぼよりも畑が多い。
緑区で最近話題になったことといえば、高校野球センバツ大会で優勝した浦和
 学園が野田にあること。そのとなりには、埼玉スタジアム2002がある。
・それにしても埼スタに行くのに埼玉高速鉄道浦和美園駅から、なんであんなに
 遠いのだろう。それに埼玉高速鉄道の運賃の高さ。東浦和からおとらのある
 本駒込まで行くのに、東川口乗り換えで埼玉高速鉄道から地下鉄南北線に乗り入れ
 て行くのと、南浦和京浜東北線に乗り換え、また王子で地下鉄南北線に乗り換え
 て行くのとでは300円も高いのだろうか。これじゃ、客は乗らないよ。
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浦和市には二つの天然記念物があった。ひとつは荒川秋ヶ瀬の自生のさくらそう
 もうひとつが「野田の鷺山」。鷺山は鷺のコロニーで、集団で巣を作るのはめずら
 しいそうだ。江戸時代からの名所だったそうだが、わたしの子供のころには、もう
 鷺がいなかった。それで天然記念物指定を取り消されている。農薬が原因と言われ
 ている。

・写真の本は「白サギの詩」田中徳太郎(岩波書店)と「浦和の今昔物語」小島煕
 (草土社)。田中徳太郎は、鷺山にやぐらを組んで鷺の撮影をした。この本は、
 ダイジェスト版で大判の写真集がある。小島煕は、わたしの小学校の校長先生。
 この二冊とも浦和の古本屋で買えたのがうれしかった。
・見沼の通船堀は、国の史跡。東浦和駅から2〜3分のところにある。前にも
 書いたが縦に流れる三つの川をつないで、横に用水路を作って、船の運航をした。
 三つの川は高低差があるので、関を作って水位を調整して船を流すという方式を
 江戸時代に作った。この同じ考え方がパナマ運河で、それよりも早くできたという
 のが浦和っ子の自慢になっている。

見沼代用水東縁から芝川への水路

芝川。釣り人がいたのがうれしい。わたしも子どものころここで釣りをしていた。

こんな竹林もあったんだ。
・通船堀なんて、小学校の遠足以来。まだまだ、緑区のいいところがあるんだが
 またご案内します。