1982.2.1 二つの日記

・明けましておめでとうございます。
・年末年始の仕事が終わって、きょうはお休み。また、
 明日から仕事で2週間休みがない。自分で選んだ道
 とはいえ、なんかなあ。
*
永島慎二にはじめて会ったのは、1982年2月1日。この日の
 永島慎二の日記がエッセー集「真夜中のせんたく」(創樹社美術出版)
 に残されている。


午後六時半には浦和まで行って、埼玉文学学校で何か話さなければ
ならない。で、新日文の谷口氏に電話して、締切をのばして
もらう。午後四時頃家を出て、中央線で神田まで行き、京浜線で
浦和につく。会場にまんが家の勝又進氏が来ていたには少し
驚いた。約二十人ほどの人々の前で、自分はどんな具合に生きてる
か、でな話を二時間ほどしゃべって、帰りに勝又君と駅前の喫茶店
で三十分ぐらい話をした。阿佐谷駅に帰りついたのは午後十一時
二十分。

・と、こんなことを書かれています。
*
・わたしはこの時、まだ浦和の実家に住んでいました。新聞の
 イベント情報を見てあこがれの人に会いにいくことにしました。
・ドキドキです。このころは社会人になったばっかりの頃。
*
・きょう片づけをしていて、日記がでてきたのでなんとなく
 ぺらぺらと見ていたら、1982年2月1日が見つかりました。
・書いたことを全く覚えていなかった。
*

永島慎二はハイライトを吸っていた。
今日、永島慎二の講演をヴェルデ(最近壊してしまったが、
浦和の街中にあった複合施設)に聞きに行った。
題名は「家から二百メートル以内のこと」である。埼玉文学校
が開いた公開講座であるが、集まったのは大体15名。勝又進
も来ていた。彼は大宮に住んでいる。
永島慎二は)思ったとおりのかっこうであり、しぐさは
漫画そのものであった。話は題名とはなれて、文学と漫画、
的なことを話していて、始めのうちはおもしろくなかった。
一種雑談風に話をすすめていた。
その中でこんなことを言っていた。「貧しい笑い」。つまり
日本が豊かになったが、精神的な貧しさがあるという。
そんな中での現在の漫画は、貧しい笑いであるという。
「一億の孤独」。人間、一億円稼げれば、それなりに美意識
が解るのではないかという。その場合、孤独になるという。
「旅人くん」。旅人くんは、作者の書いた時間の感性を
読み取ってほしいという。特に豊かな時間、金のあるときに
読んでほしいと。

・ひどり文章だな。自分で書いたのによくわからない(苦)
*
・聴講者は、ほとんど埼玉文学学校の人たちのようで、
 永島ファンと思えるのは、もう一人女の子がいただけだった。
 埼玉文学学校の人たちは、永島慎二をよく知らないようで、
 漫画も読んだことがないような人たちだった。雑談風と
 書いたのは、質問を受けながら話していたのだと思う。
 先生は、それを察知して話題を変えて話をしたのだろう。
*
・もっと自作の漫画の話が聞きたかったのだ。わたしには、
 難しい内容だったのかもしれない。
・講演の最後に思い切って質問をした。「漫画のシリーズ名に
 色がついているのはどういう意味ですか?」というような。
・説明をしていただいたのだが、どういう分け方をしたのか
 覚えていない。色に意味があったと思うが……。
*
・正月からおもしろい発見をしたので、ことしはいいことが
 あると思い込もう。ことしもよろしくお願いします。
*
<おまけ>
 当時、阿佐ヶ谷から浦和に行くには、新宿で山手線、池袋で赤羽線
 赤羽で京浜東北線に乗り換えるのが普通だったと思う。中央線で
 神田まででたのは、乗り換えを少なくしたかったからだと思います。
 三回も乗り換える時間を考えるとこのほうが合理的ですね。
<おまけ2>
 わたしが勝又進とわかったのは、会場に入る時に記帳をするのだが、
 その時前にいた人が勝又進と書いたからである。ダンディな感じ
 の人でした。