水俣病60年記念講演会

一箱古本市疲労は、きのうよりきょうのほうがきつい。
 敷布団と背中が一体化して離れない。無理やりはがして
 起床。
          
・「水俣病公式確認60周年記念 特別講演会」に行ってくる。
 5/3、4、5と3日間連続できょうが最終日。場所は東大安田講堂

5月5日「われもまた 人げんの いちにんなりしや」
          
成 元哲「被災者たちの声―水俣と福島」
奥田愛基「希望に負けました」
加藤典洋水俣病と私―“微力”について」
緒方正人「生き物としての私たち」

・これがテーマと講演者。それに熊本から石牟礼道子スカイプ中継。
 司会は俳優の高橋長英高橋長英といえば、伊丹十三タンポポ」の
 中堅社員や「マルサの女」の銀行員さらにテレビドラマの「白い巨塔
 が印象に残っている。最初に築地本願寺雅楽と声明。
・まずは、成 元哲。社会学者である。きょうはなしを聴いていて社会学
 というものがどんなものであるかがわかってきた。どうもよく理解でき
 ない学問だった。なんて言ってたかな、小さいものことを拾い集めて
 記録に残すことだというような。たしかに地道な聞き取り作業が紹介
 されていた。
・一番印象に残ったのは、水俣病の認定患者が多い地域の認定を受けてない
 人、認定患者が少ない地域の認定患者。この説明がうまくできない。
 どちらの地域も地域のなかでの少数派。それが意味を持っている。
・あー、ダメだ。ここはきちんと考えていこう。
          
・次が、SEALDsの奥田愛基。彼がいままで考えてきた生きるということ
 を述べてくれた。去年の夏の国会議事堂前のデモでしか、彼のことを
 知らなかった。そうかそういう過去を持っていたのか。もっともっと
 応援をしたくなったよ。こういう若者がこれからも出てくることが
 期待できるようになったのは彼のおかげ。

ホームレスはハウスがないのではない、ホームという関係性がないのだ。

・この言葉は彼のことばではないかもしれない。こんなこと考えたことも
 なかった。ホームっていうのは人間関係なんだ。
・わたしなんかは、安田講堂の攻防を小学生のころテレビで見て興奮して
 いた世代だから、奥田くんが安田講堂で講演しているというのは因縁が
 あっておもしろいな。
          
・次がスカイプを使っての石牟礼道子の中継。今回の熊本地震で施設から
 病院に移って、また施設に戻ってきたばかりだという。
・子供のころの娘が売られていくはなし。そのはなしが鮮明に語られて
 いてこころをうつ。
          
・休憩もはさんで、加藤典洋。はなしを聴いてみたいと思っていたひとり。
 でもちょっとわかりづらいところがあった。佐藤真の「阿賀に生きる」の
 こと。
          
・その次が水俣病患者で漁師の緒方正人。このひとのことは先日の毎日新聞
 で知った。1985年に認定を取り消している。このひとの考え方がすごい。
・きょうのどの講演にも共通することだが、水俣病の問題は、加害者と被害者
 だけの問題ではないということ。家庭や地域、国家、裁判。そんなことを
 通り越していると亡くなった人が先住民だとすると、チッソは近代だ。
 つまり、文明の衝突の現場が水俣病であると。

水俣病で亡くなった人たちは、生きものとして毒を引き取っていった。

・新幹線や高速道路は大地震が起こると機能できなくなる。科学発展していく
 とどんどん自然とかい離していく、と。人類はそれを見直さなくていけない。
・あー、ここもうまく書けないなあ。水俣病のことは、東日本大震災原発
 事故にもつながっている。

緒方正人「チッソは私であった」(葦書房

チッソは私であった

チッソは私であった

・この本は是非、古本屋で見つけて読んでみたい。