歩くということ

・今回の地震津波で被災された方々の御見舞い申し上げます。
・12日は不忍ブックストリート「助っ人顔合わせ会」を行う予定でしたが
 中止させていただきました。予定をされていただ方々にはご迷惑を
 御掛け致しました。
・16日に千駄木ブーサンゴにおいて開催することにしました。
 詳しくは下記の「しのばずくん便り」をご覧ください

しのばずくん便り
http://d.hatena.ne.jp/shinobazukun/20110313

・ただし、余震や交通状況、輪番停電により再度開催を中止することも
 ございます。このような状況なので、参加される方は無理のないように
 お願いいたします。
・「助っ人さんの仕事」や今後の日程などについてなどご質問のある方は
 下記までお問い合わせください。よろしくお願いします。

不忍ブックストリート お問い合わせ
http://sbs.yanesen.org/contact/contact

・11日のことを書きます。地震があって、交通機関がストップしていると
 いう状況で歩いて帰る選択をしました。浦和の実家に用事があったので
 そちらに向かうことにしました。
・理由としては、なんとなく歩いて帰る道がイメージできたことと、若かりし
 18歳の時に日本橋から浦和まで6時間で歩いたことがあるという経験でした。
・なんとか帰れるだろうと。もうひとつは性格です。待つことがキライ。
 いけるところまでいってやれという気持ちでした。
・会社は港区芝。正確な距離はわかりませんが、浦和まで35kmぐらい
 でしょうか。マラソンよりは短い。
・午後4時半。会社をでて第一京浜へ。もう、すごい数の人が歩いていました。
 車道は大渋滞。バスも走ってましたが、満員でした。
昭和通りをまっすぐ北上すればよいというイメージはあったので、
 混雑する第一京浜をさけて裏道を抜けて汐留・新橋へ。
・腹がへっていたので、新橋でうどんでも喰おうと思っていたのですが、
 まだ歩き始めたばかり。あきらめて昭和通りへ。
・高速道路下のドンキホーテでは、自転車が飛ぶように売れてました。
 そうかそうだよな。コンビニはおにぎりやサンドイッチはないのに
 どこもスゴい混雑。
・途中、車いすの人とすれ違ったのですが、声が掛けられなかった。
 なんか手伝えることはあるだろうに。
・東銀座へ。ここらへんは外人さんが多い。他国に来て、さぞ不安な
 ことであろうと思う。交差点のパチンコ屋。呼び込みやってるよ。
 店内をのぞくとけっこう人がいる。こんな時にパチンコやっている
 気がしれない。
・歩道を埋め尽くして人が歩いている。上る人、下る人。
日本橋あたりは、古いビルを中心に窓ガラスが散乱しているところ
 があった。最近はガラスで覆われたビルが多いけど、大丈夫なんだろうか。
・腹が減っているのに新橋で喰い損なって、ひとつの目標を持って歩いていた。
 それは日本橋本町の立ち喰い「そばよし」。
 あー、「そばよし」で喰いたい。それだけを考えて歩いてました。
・しかし、「そばよし」のネオンが消えてました。まだ、時間は6時頃
 だったでしょうか。
・横道に入り、「吉そば」で肉そば。このころ立ち食いそば屋はどこも
 店を閉め始めました。品切れなのか、店員が早退するのか。
・腹もクチて、次の目標が浮かんできた。日暮里。
・空いていたのが、「なか卵」。歩きながら見つけた「なか卵」は
 ほとんど空いてました。あと「マック」も空いていたけど超満員。
 バーガーキングやファミレス、ドトールも徐々に閉めてましたね。
秋葉原は大混雑。ここも外人さんが目についた。レンタカー屋さんを
 のぞくひとも多かったけど当然車はない。ホテルも見つけたけど
 満員でしょうね。漫画喫茶という手もあるか。
・あとは、ドコモとかAUが満員。携帯の充電なんでしょうね。
 公衆電話も行列。こんなところにまだ公衆電話が残っていたのかと
 変に感激。
上野駅で地下にもぐってトイレへ。みんな青いシートを引いて座って
 ました。50人ぐらいでしょうか。おやじに見せたら終戦直後を
 思い出したでしょうに。
・入谷からは4号線と別れて尾久橋通りへ。といいたいところだが、
 迷ってしまった。迷いながらも日暮里へ。古書「あほうどり」を
 目指す。確認したい用事があったのだ。
・直前で「あほうどり」と電話がつながって、お店へ。
・夕焼けだんだん上のビル2階にある古書「あほうどり」。本が
 散らばっている。すまないこんな時に。ちょうど9時。
・イスに座らせてもらって、初めて休む。メールやスカイプを使わせて
 もらう。今回の地震で思ったけど、ツィッタースカイプは強いね。
 停止しなかったね。今後、災害用に活用されていくと思う。
・自転車を貸てくれるという。有り難くギアつきの自転車を借りる。
 西日暮里から、線路沿いに尾久へ。尾久駅は電気はともっていたが、
 電車は動いていない。
明治通りを北上。梶原電停。うわー、都電荒川線が走っている。
 戦災のときもいち早く路面電車は動き出した。今後、都市計画を考える
 上で路面電車は重要な交通機関になりうる。
・自転車は快調。人がまだまだ歩道に多いので車道を走る。
・王子から北本通りへ。ここからが長い。王子神谷、志茂、赤羽岩渕と
 南北線の駅を過ぎる。南北線も動き出したようだ。北本通り沿いで
 空き家だろうか一軒家が傾いていた。
・赤羽岩渕でも道を間違えて、東北線の鉄橋にぶつかる。赤羽岩渕に
 もどって新荒川大橋。ここは車道を走ったが、側溝のふたの穴に
 自転車のタイヤが2回ほどはさまった。あぶないあぶない。
 これは考えて欲しいね。
新荒川大橋を抜けて、ついに埼玉県だ。時間は11時。おういいペース。
 あほうどりでいただいたお菓子がうまい。持っていた地図は
 東京だけなのでここからはカンで走る。なんとなくはわかっているのだが、
 走っているところが産業道路なのか。道行くひとに確認しながら進む。
・ここまで来ると歩いている人はぐっと減った。さすがにバテてきたのか、
 ギアを一番軽くして走る。川口からが長かった。外環にぶつかるまでの
 辛抱だと思いながら。
・川口を抜けるあたりから、途中で降りてころがしながら歩いて、また
 自転車に乗ったりして。目標は、太田窪のファミリーマートの缶ビール。
・実家から一番近いコンビ二。二十三夜、谷田小学校、見覚えのある場所だ。
・あこがれの太田窪のファミリーマートで缶ビールを2本買って実家へ。
 到着は夜の12時。
・歩いていたら、へばっていた。自転車を借りたおかげでたどり着いた。
 歩くことに過信していた。
・歩きながら、自転車に乗りながら考えたこと。それは休まないことだ。
 途中、ファミレスなんかで休もうとも思ったけれど休憩は1回。
 日暮里のあほうどりだけ。歩き続けているとワォーキングハイになって
 休まなくても大丈夫。ただしそのあとに来るバテた状態になったときには
 こんどはカラダが動かなくなるだろう。
・実家に行って缶ビールを2本飲んだら、余震も夢うつつで
 ぐっすり寝てしまった。